投稿者「中塚 聡」のアーカイブ

ナイトナイトナイト!

七尾旅人の「サーカスナイト」を聴くと、やたらとセンチメンタルな気分になる。
自分はそもそもおセンチな人間であると自覚しているのだけれど、この曲はまさしくジャストに刺さってくる。このブログも、気づけば最近はわかりやすくセンチメンタルを垂れ流していて、自分のおセンチ具合にびっくりしているところだ。テンプレートでもあるのかオイ!と言いたくなる(自分に)。
それはさておき、サーカスナイト、なんていい曲だ。早くアルバムが聴きたい。




あと、ナイトつながりで、「ダークナイト・ライジング」見に行かないと。


さらにナイトつながりで、8月5日(日)に渋谷O-west/O-nest/7th floor で開催されるメテオナイトに出ます。
タイムテーブルはそろそろきっと発表になるハズ。
Less than TVの企画は、みなとまちヨネタ氏と一時期よく見に行っていたのだけれど、まさか出ることになろうとは思っていなかったので、嬉しいと同時に、非常にドキドキする! 懐広いレスザン!

恋はもうもくのアー写に、ドキッとさせられる、METEO NIGHTトレイラー。



ハローホークの夏は、その8月5日のメテオナイトと、8月12日(日)に大阪で、大好きなCARDのレコ発という、楽しみすぎる2本のライヴ。これをやったら、10月までしばらくバンドセットのライヴお休みです(たぶん、今のところは…)。
あとは、9月1日にはアコースティックライヴが八王子であります(詳細は後日)。ぜひのお越しを。

休んでいるとか言いつつ、実はその間はレコーディング!の予定です。こうご期待!
その辺の詳細は、たぶんこの夏中には、お知らせできる、かな。

気がつけば尻尾も見えないくらいにダッシュで駆けて去って行く夏を、必死に追いかけたいところ。
そして少しくらいは日焼けをしたいところ。

やたら心ざわつかせる夏は、まさに、今!



曲をナイトで揃えようと思ってたのに、忘れてた。

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夏の始まりに夏の終わりに想いを馳せる話

さあ、梅雨も明けた。夏真っ盛りだよ。
ボーイズやガールズたちは色めきたつという季節ですよ。

夏なんていうのは、だいたい始まったあたりが一番楽しい気がする。

高校生の頃の夏休みなんて、ほんとにそうだ。
憂鬱な梅雨が終わって、夏休みが始まる。「夏だしきっと何かあるはずだ!」という開放感と期待感が体中に満ちあふれて、青い妄想イマジネーションが爆発する。
そう、夏の始まりは、ステレオタイプのように抜けのいい真夏のイメージを原動力に、根拠のない全能感でスタートするのだ。
花火大会、プール、海、キャンプ、旅行、夏祭りに合宿、夏フェス。どうもウワサによるとそこには「何か」が見つかるらしい。

しかーし、僕を筆頭に、だいたいの人は、何ものも見つけられずに終わるのではないか。いちおう、それぞれの場所に、顔は出してみるのだけれど、おお、見事に何もなかった。夏ならではの、甘酸っぱい思い出とか、全然できなかった。

夏休みの半ばには、甲子園を見ては悶々して、次に夏休みも終わりかけてくると、結局なにもなかった、という諦めと、いや、まだ何かあるんじゃないか、というひとかけらの希望のせめぎ合いになってくる。ほぼ諦めが勝ってる中での、それでもつかない諦めがあるというのは、非常に苦しい。
今思うと、何だって楽しい季節に、そんなに自意識と戦ってたんだろうかと思うけれど、「部活やってない=何もしてない」という劣等感と、童貞特有の濃度の高い悶々が混ぜ合わさってドロドロだったのかなー、と思う。

残された宿題と、残暑の日差しと、夕暮れどきに響くヒグラシの鳴き声と。
夏の終わりの切なさって格別なものがある。スコーンと駆け上がった夏への期待感は、順調に下降線を描いていき、夏が終わるころには元の数値からやや下がったあたりに落ち着いて、そしてテンション低めに9月が始まる…。

と、よくよく考えたら、去年も夏についてこんな風に書いていた
しつこいな! 嫌われるぞ!

さすがに高校時代からは色々と学習もして、また思春期丸出しでもなくなった今、あの頃に比べたら、まるで達観したような顔をしているけれど、それでもやっぱり、「夏」と聞くと条件反射のように、うっすら期待感持ちながら、またやるせなく終わるもの、という感覚がある。

これはもはや、実際に期待してるかとか、何かを得られたかという点は、もうどうでも良くて、きっと僕は、単にこの感覚が好きなんだと思う。
夏になれば、決まったように、そうめんを食べて、スイカを食べて、風鈴の音を聞いて、「ああ、日本の夏っていいものですね」と言うような。まるで儀式というようなもので。
僕にとっての夏は、そうめんをすするように、スイカの種を飛ばすように、ラジオ体操第2をダサいと笑い飛ばすように、そうナチュラルに、終わりになったら切ながるもなのだ。
「ああ、夏の終わりって、切ないね」そう言いたい。味わいたい。
それは、ひとつの風物詩としての切なさ。

やあ29歳の夏の始まり。
終わりに待つのは、寄せては返す波、しょっぱい涙の味。


夏そのものに対する印象はこんなもんだけれど、「夏休み」に対しては、社会人になると意識が変わった気がする。
学生の頃みたいにそう長々と休みも無いので、無理やりにでも有意義に使うぞという気概に満ちあふれてくるのだ。わずかな日数を、「夏しちゃってる感」で納得させるように使うべく、効率をよくしようとする。そこでは、高校時代のように悶々だとか自意識だとか、四の五の言ってるヒマはない。ピンポイント攻撃で夏する以外に選択肢はない。「今度は戦争だ!」安達祐実も、そう言っていた。

とか言いつつ、今年は全然まだ夏休みの使い道を決めていない。去年は九州へ遠征して、本当に楽しかった。

浮かれとルサンチマンのダブルスタンダード。
夏終わりの切なさを味わう準備をしながらも、
僕は、これから休みをどうしてやろうかなという考えにも、頭をグルグルめぐらせている。


かせきさいだぁ / じゃっ夏なんで


Clammbon / Re-残暑

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そば屋のたけし

ここ最近、気になっている少年がひとりいる。

それは、そば屋のたけし。
そば屋は、僕が勤める会社の近くにあるお店。
たけしは、多分そこの息子で、おそらく小学3、4年生くらい。
決してデブではないのだけど、いかにも健康優良児といった感じの、小学生らしいムチムチ感のある体格をしている、スポーツ刈りの少年である。
ちなみに、たけしという名前は、僕が見た目から勝手につけた。なんかもう、見るからに「たけし!」と呼びたくなるような見た目、雰囲気、バイブスを放っているため、出会った瞬間から心の中で名付けたのだ。名付けたというか、むしろきっと、たけしに違いない! と思っている。
字は多分、「健」もしくは「武」。現代に染まりすぎてない、昭和の申し子的小学生、This is たけし。

彼を見かけるのは、いつも夕方から夜にかけて。
僕が会社を出て駅までの道を歩いていると、たけしはいつもひとりでお店の前にいる。
お店の前の道路で、いつもひとりで遊んでいる。

夕暮れのオレンジや、ときにはに宵闇の中の街灯に照らされて、ひとりで遊ぶたけしを見ると、何とも言えない切なさを感じてしまう。

友だちはもうみんな、ご飯の時間なので、おうちに帰ってしまった。
たけしはそば屋の息子。ご飯どきは、両親はお店に立っていて忙しい。
まだまだ、遊びたいけれど、しょうがない。ひとりぼっちになったたけしは、お店の前の道路で、ボールを蹴る。

何度となくそんな光景を見るので、その店の前を通るたびに、僕はたけしがいないか気にするようになっていた。

店の前の道路で、壁を相手にキャッチボールするたけし。
店の前の道路で、リフティングをするたけし。
店の前の道路で、クラウチングスタートの練習をするたけし。
そして時には、店の隅っこのテーブルで店内のテレビを見ながら宿題をやるたけし。

たけしは親から愛情をたっぷり注がれてるんだろうか。
忙しいという理由で、夏休みに旅行に連れていってもらえていないのではないか。
運動会のとき、両親とも店を休めないために、ひとりで寂しく弁当を食べたりしてはいないだろうか。

たけしを見て、センチメンタルに思ってしまうのは、
完全にこっちの思い入れだけで、たけし及び、ご家族のみなさまにとってはいい迷惑でしょう!
しかし、夕暮れ(もしくは宵闇)と、ひとりぼっちで遊ぶ少年、しかも家は自営業、という組み合わせは、想像の中でおセンチを熟成させるには十分すぎる素材と言える。

自分の中にある切なさを、たけしに投影しては、帰り道ひとりで反芻するのだ。
ああ、僕はたけしから目が離せない。たけし、たけし、本名は決して知らない。

と、ここまで書いておいたけれど、実はこの後日、そば屋の前を通って、またたけしを見た。
たけしはいつものように、ボールを蹴っていたが、この日はひとりではなかった。
(たぶん)お母さんと、ボールを蹴りあっては、楽しそうに話していた。

勝手に切なさを味わい、その余韻に浸っていた僕は、幸せそうな光景を少し寂しくも思ったけれど、でもやはり笑顔のたけしと家族の姿は、そんな僕でも十分グッと来るものだった。
たけし、元気に育てよ!


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