吉村さんが亡くなった。bloodthirsty butchersの吉村さんだ。
あまりに早い。寂しいし、惜しいし、悔しい。
あれこれと書くのもおこがましい思いつつ、僕が、いつかブッチャーズと対バンしたら、話そうと思ってたちょっとした個人的な話があるから、その話は書いておきたいと思って、仕事の合間に書き殴った。
僕がブッチャーズのライヴを初めて見たのは、2000年、の6月。高2のときだ。
Rage Against The Machine来日公演のオープニングアクトで出てきたのが、ブッチャーズだった。そのときの様子は、ドキュメンタリー映画「kocorono」にも残っているけれど、お客さんは、当然ながら、暴れたい人が多くて、どうにも客席とのチグハグ感は否めなかった。
けど、僕は、屈強な男どものモッシュにもみくちゃにされながらも、そのライヴを、「かっこいい」と思ったのだ。当時、うまく説明はできなかったけど。
その1か月後。僕は初めてフジロックへ行った。
その年は、ブッチャーズが出ていて、迷わず見に行った。確か3日目のレッドマーキー、割と早い時間。「新曲です」と言って、『さよなら文鳥』を演奏していたのを覚えている。
ライヴを見た後、場内を歩いていたら、偶然、吉村さんに会った。
僕は恐れも知らぬ高校生だったので、とりあえず話しかけた。
「すごいかっこよかったです!」
「新曲もよかったです!」
「僕レイジのときも見たんです!」
「あのときもかっこよかったです!」
何か、こんなようなことをペラペラとまくしたてた気がする。
吉村さんは、ちょっと笑いながら「そうか」「ありがとう」と言ってくれたと思う。
さらに調子に乗った僕は「サインください!」と言って、そのとき着ていたTシャツを、その場で脱いで差し出した。しかし、そのとき着ていたTシャツは、ブッチャーズではなく、レイジのTシャツ。つい1か月前の来日公演で買ったものだった。
今考えると、なんて失礼な…と思うのだけれど、僕は恐れを知らぬ高校生。
たぶん「ブッチャーズのTシャツじゃないけど、対バンしてたんだし、このTシャツならサインしてもらってもいいハズ」って、考えてたんだと思う。
吉村さんは、そんな高校生の申し出にも、ちょっと驚きつつも、いいよ、とニヤッとして、サインを書いてくれた。
そのTシャツは、黒地のボディに、白でレイジのライブ写真がプリントされたもので、吉村さんは白いところにサインを書いた後、真ん中でジャンプするVo.ザックの目のところにマジックで、チョンチョンッと×(バツ)を2つ落書きして、お茶目な顔して、ハイヨッと僕にTシャツを渡してくれた。
上半身裸で待ってた僕は、それを受けとると、全力でお礼を言って、ホクホクしながらまた次なるバンドを見に行ったのだった。若い、俺。
あー吉村さん。いつかブッチャーズと同じステージに立つことが会ったら、このときの話をしようと思ってた。
「(覚えてないと思いますけど)僕、あの時の失礼な高校生ですよ! 吉村さん!」
そのフジロックからだいたい10年経ったとき、Hello Hawkで初めて出したアルバムを、吉村さんが褒めてくれたときは、本当に嬉しかった。
渋谷のnestでベロベロになって、半分くらい何を言ってるかわからない吉村さんに「お前らの曲は、俺らの影響とかを感じる(意訳)」みたいなことを言われたときは、ちょっと恐い!とひるみつつも、「バンドやっていて良かった!」と心底思えたのだ。
影響なんて、そりゃもう……自分たちの音源を聴いてくれるときが来ようとも思ってなかったし、おこがましくも、そんな片鱗を感じ取ってもらえるなんて、想像もつかなかった。
それから、話しかけてもらえたり、あいさつできるようになったけれど、まだまだ、全然、ガッツリと話せていなかった、吉村さん。
新作も楽しみだったし、ライヴももっと見たかった。
これからを見せてほしかった。
ブッチャーズとしては、吉村さんと対バンできなかったですね。
でも、去年末、恐れを知らぬ高校生の頃を思い出して、ビビりながらも意を決して
「bedとHello Hawkとブッチャーズで、official bootlegやってください!」と言った。
吉村さんは「おう!」と応えてくれて、そのときはそれで話が終わり、まあ、その場のノリで言ってくれたのかな、とも思っていたけど、後日、吉村さんがbed山口くんに会ったときに、「3バンドで一緒にやるぞ」って話をしてくれた、と、あとあと山口くんから聞いたのだった。
あと、これも去年末。
communeで、ひさ子さんとアコースティックライヴをやったとき、吉村さんが来てくれて、見終わった後、「俺にもここ(commune)でやらせろ! 俺を誘え!」と言ってくれた。
どちらのライヴも、実現させたかったな。
正直、吉村さんというと「ジャイアン」ともたとえられるように、恐いイメージもすごくあったけど、僕らと話すときは、大概優しかった。それでも、僕は、いつか無茶ぶりとかバイオレントなかわいがりとかあるんじゃ…、と思って、ついつい話すときも遠慮しがちだった。
今はそれをとても悔いている。
嬉しい言葉も、色々かけてくれたのに。
もっと素直に憧れを口に出せばよかった。
僕はあの頃から、遠くにある背中を追っかけてたというのに。
終わりは来るものだけれど、こんな早いとは当然思っていない。
書いても書き足りない。
とりあえず、僕らは続けていきます。
ありがとう、吉村さん。
ご冥福をお祈りします。